関西ではテレビで見ない日はないほど売れっ子のお笑いコンビ「ハイヒール」のモモコさんとリンゴさん。
還暦を迎えたとは思えない若々しいハイヒールモモコさんにスポットを当てたいと思います!
ハイヒールモモコさんの若い頃は元ヤンキーで暴走族だったという情報もあり、気になる方も多いのではないでしょうか。
そこでこの記事では、
- ハイヒールモモコさんの若い頃の可愛い顔画像
- ハイヒールモモコさんの若い頃のヤンキー時代・暴走族時代
- ハイヒールモモコさんの生い立ち
について調査しました!
【顔画像】ハイヒールモモコの若い頃が可愛い!
いつもエネルギッシュで元気いっぱいのハイヒールモモコさんですが、若い頃もパワーに溢れていてとても可愛いです!
さっそく、モモコさんの画像をご紹介していきます。
中学生
まずは、モモコさんの中学生時代の画像から。
中学生ですが、バッチリメイクをして大きなイヤリング。
ヤンキーと一目でわかるルックスですね…!
この中学時代の話、ヤンキーだった頃の話についてはまた後ほど詳しくご紹介しますね。
「ハイヒール」初期の頃
「ハイヒール」は1983年6月のなんば花月下席「フレッシュコーナー」でデビューを果たします。
モモコさんの相方は3歳年上の大学生、リンゴさんでした。
この頃のハイヒールモモコは今見るとバチバチに良い。当時はヤンキー好かなんだけども。 pic.twitter.com/My8ywEZb7f
— 果物兵士🌛 (@heishi_kudamono) July 26, 2020
当時はまだ女性漫才師が少なく珍しかったため注目を集め、有名人に躍り出ます。
吉本興業が付けた2人の売り込みのキャッチは「女子大生と元スケバン」でした。
このモモコさんめっちゃ可愛い…
— いろは (@ioa_owri) July 29, 2019
フツーにタイプ笑#ハイヒール#ハイヒールモモコ#ハイヒールリンゴ pic.twitter.com/wRjItFpQ0j
モモコさん、当時のどの写真や動画を見てもヤンキー感が満載ですが可愛らしいですね!
ちなみに、モモコさんの前髪やサイドの髪をボリューミーに巻いた髪型は、当時流行っていた「聖子ちゃんカット」です。
当時いっせいをふうびした、聖子ちゃんカット!
— マーシー (@marsysrhk) December 23, 2016
ハイレイヤーのパーマスタイル。今の子がしても絶対にかわゆいはず!
まぁ聖子様以上にかわゆくはならないだろうけど‥。
今の時代でもまたブームを巻き起こすヘアスタイル期待しよう pic.twitter.com/D5GYHudLsI
昭和57年(1982)。警察が作成したツッパリファッション。写真はモデルさんで、当時「流行遅れなのでかなり恥ずかしかった」というコメントをしていた。確かに2年ほど遅れてます。女子のカーリーヘアは昭和54~55年のツッパリですね。昭和57年なら不良少女は聖子ちゃんカットです。 pic.twitter.com/U2qL6fH0lC
— 懐かしい昭和時代(女性) (@natsukashi__) August 21, 2024
モモコさんは松田聖子さんの大ファンで、現在でもクリスマスには聖子さんのディナーショーに行かれています。
ハイヒール結成秘話
ここからは「ハイヒール」の結成秘話をご紹介します。
1982年にリンゴさんと漫才コンビ「ハイヒール」を結成したモモコさん。
実は2人の出会いは「NSC大阪校1期生」で、吉本興業から「コンビを組み」と紹介されたことがきっかけです。
- ハイヒール
- ダウンタウン
- トミーズ
- 内場勝則
- ガダルカナル・タカ
- つまみ枝豆 など
モモコさんは高校時代に、テレビ番組「笑ってる場合ですよ!」のコーナー「お笑い君こそスターだ!」に出演します。
5日勝ったらスターになれる最後の5日目に落ちたモモコさん。
しかし、NSCからスカウトされたことで高校を中退し、NSCに入学しました。
が、入ったものの授業に飽きて
NSC辞めます
と話したところ、まじめな大学生だったリンゴさんを紹介され初対面を果たしました。
これが運命の出会いとなったわけですが、意外にも2人の第一印象は最悪なものだったといいます。
2022年7月7日深夜放送の「かまいたちの知らんけど」でモモコさんが当時の出会いを語っていました。
モモコさんのリンゴさんへの印象
だが、第一印象は「リンゴも同じやと思うけど、絶対友だちは無理って思ってん」とリンゴが自分とは遠くかけ離れた存在だったと回想。「喫茶店で勉強しておかっぱでタータンチェックのスカート、ぼんぼりついた靴下はいて」とリンゴの当時のファッションを振り返った。
引用:スポニチアネックス
リンゴさんのモモコさんへの印象
- モモコさんがガムを鳴らしながら来たこと
- モモコさんが「あ、あんた~」と言ったこと
で「なんやこいつ」と思ったそう。
それでも、当時のNSCの初代校長だった冨井善則さんが言ってるからと、NSCの寄席に向けて1回だけと思ってコンビを結成します。
それが初めてだったのにたまたまウケたことで2回目、3回目とやり続け今に至ったそうです。
阿吽の呼吸で息ぴったりのハイヒールのお2人ですから、コンビ結成のきっかけは同級生だったりしたのかと思った方も多いのではないでしょうか。実は、NSCで引き合わされたという縁からでしたね。
ハイヒールモモコの若い頃のヤンキー時代がヤバい⁉
ハイヒールモモコさんの若い頃のヤンキー時代について、次のような情報がありました。
ハイヒールのモモコのヤンキー時代が少し川村真洋に似ている pic.twitter.com/BFvCUkIwPE
— 小嶋餅 (@kojimamoti) February 6, 2016
そして、このときにモモコさんが所属していた暴走族 『レディースレーシング・ハイヒール』という名前が、コンビ名「ハイヒール」の名前に繋がっているのだとか。
モモコが所属していた暴走族『レディースレーシング・ハイヒール』が由来
— たまねぎ肉巻き (@tamaneginikumak) August 13, 2024
#ナイツラジオショー
ただ、リンゴさんは以前、コンビ名の由来について
ハイヒールっていうのは2つで1つ。女の子がぺたんこリボンの靴から一番最初に履きたいと思うのがハイヒール、女の子が憧れるような漫才師を目指してます
とテレビで話していました。
これは、後になってもっともらしい理由を付け足しただけだったことを明かしています。
リンゴが「ハイヒールもそうやねん。モモコがパパッて感じで」と話を切り出し、モモコが所属していたレディースレーシングの名前が「ハイヒール」で「ステッカーがあるから、これええことない?って」と言われ、ハイヒールに決まったと告白。
出典:スポニチアネックス
また、モモコさんが高校に入学して1週間(正確には4月15日)で中退したという話が一緒に紹介されることが多いですが、これは前述したように「NSC」に入るためですので、決して退学になったということではありません。
また、モモコさんが暴走族を辞めたきっかけは、警察官の兄に説得されたことだということです。
ハイヒールモモコって兄ちゃん警官だったのかw本人は暴走族だったのにw
— 現 (@chemical777) June 2, 2011
ハイヒールモモコの生い立ち
ハイヒールモモコさんの生い立ちについて調べたところ、複雑な家庭環境で育っていました。
- 1964年2月21日生まれ
- 2歳のときに両親が離婚
- 父親に引き取られて育った
- 父親が再婚するも、継母はあまり面倒を見てくれなかった
- 生活はかなり厳しかった
- 中学2年生のときに実母から連絡があり、母親の元に移る
モモコさんの育った家庭は決して裕福ではなく、家庭環境も複雑でしたね。。。
実の母親に引き取られてから転校し、中学3年生のときには不良仲間とつるむようになったといいます。
さらに高校中退後に暴走族の支部長をしていたということでした。
その後、1982年、NSCに入り「ハイヒール」を結成。
- 1992年:一般男性・小林政仁さんと結婚
- 1995年:長男・仁一郎さん出産
- 1999年に次男出産
- 2002年に長女出産
モモコさんの長男・仁一郎さんが投稿した家族の写真
旦那さんイケメンでカッコイイですね!
モモコさんと旦那さんの馴れ初めは、1993年のテレビのお見合い番組でした。
お見合い番組でモモコさんのお見合い相手になりたい人を募集して、応募してきた男性たちの中の1人が旦那さんだったというわけです。
家族全員がとっても仲良しで、子供が小さい頃は家族揃ってテレビ出演などもされていました^^
幼少期から若かったころまで苦労したモモコさんですから、幸せに暮らしてほしいなと思います。
まとめ
お笑いコンビ「ハイヒール」モモコさんの若い頃、ヤンキー時代や生い立ちについて調査してきました。
複雑な家庭環境で育ち、不良となりヤンキー時代や暴走族に居た頃もあったモモコさん。
「ハイヒール」として女性漫才師になってからは、どんどん有名になり関西のテレビ番組を中心に引っ張りだことなりました。
現在は、2男1女の母となり、関西のみならず全国放送のテレビ番組にも出演され幅広い方面で活躍しています。
これからのハイヒールモモコさんの活躍を応援したいと思います!