女優の石田ゆり子さんは、その透明感あふれる美しさと確かな演技力で幅広い世代から愛される存在です。
実は、そんな石田ゆり子さんを育てたご家族もとても魅力的。
今回は石田ゆり子さんの父親の職業(郵船OB)、母親の職業や出身地、実家の場所、さらに心温まる家族にまつわるエピソードについて詳しく調査しました。
それではさっそく見ていきましょう。
- 石田ゆり子さんの父親の仕事は日本郵船のOBで、どんな人だったのか
- 石田ゆり子さんの母親の職業や出身地(沖縄県石垣島)と家族背景
- 石田ゆり子さんの実家の場所はどこか?転勤族だった生い立ちと現在のご実家
- 石田ゆり子さんの兄弟姉妹や家族エピソード(水泳の実力や心温まる出来事)
石田ゆり子の父親の仕事は郵船OB!
日本郵船は三菱グループに属する国内最大級の海運企業で、給与水準も高いことで知られています。
日本郵船は上場会社なので、有価証券報告書で平均年収が公開されています。有価証券報告書によれば、2025年3月期における日本郵船の平均年収は1,435万円(平均年齢:38.1歳)となっており、非常に高い水準であることが分かります。
引用:タレントスクエア
父親は日本郵船のエリート社員だった
石田さんの実家は裕福だったようで、父親は日本郵船のエリートサラリーマンだったといわれています。
石田さんのお父様は仕事の関係で転勤が多く、家族もそれに伴い各地を転々としました。
石田ゆり子さんは幼少期から愛知県(名古屋市)や東京都、兵庫県(西宮市)、神奈川県(川崎市)などで暮らし、小学校高学年から中学生の3年間は台湾の台北市にまで引っ越しています。
台湾赴任は父親の海外転勤によるもので、ゆり子さん自身「私は父の仕事の関係で12歳から15歳まで台北に住んでいました。
一番多感な思春期を海外で過ごしたことは視野を広げる意味でとっても素晴らしいことだった気がします」と振り返っています。
当時住んでいた台北のマンションを大人になって再訪した際には、「うーん、懐かしい」と感慨深げに語っています。
石田ゆり子さんが、台湾のペットの保護施設を巡る番組、良かったな。😊✨
— tera-chan (@tera_HKmovie) January 10, 2025
中学3年間、台北で過ごしたんだって。
妹のひかりさんは「愛は波の彼方に/愛情夢幻號」で流暢な北京語を話されていたような。キネカ大森まで見に行った記憶が。🙇♂️🙇♀️ pic.twitter.com/PPLVeklLsq
この投稿には「台湾のお話もっと聞きたいです」「ひかりさんがローラースケートで部屋を移動していたというマンションですね(笑)」といったファンからの懐かしむ声も寄せられました。
優しくて豪快!記者も惚れたお父さん像
エリート会社員だった一方で、石田ゆり子さんの父親はとても人情味あふれる人物だったようです。
1980~90年代、娘たちが人気女優となった頃には芸能記者たちから一目置かれる存在でもありました。
「どんな育てられ方をしたのか」と気になる人もいるのではないか。2人の父親・J氏(79)は1980年代から90年代まで放送・芸能記者の間で絶大な人気を誇った。取材に答えてくれるからではない。人間性だ。
引用:週刊女性PRIME
取材のため自宅近くで待っている記者に対し、「夜遅くまで大変だな」と優しく声をかけ、「立ち話もなんだから」と自宅に招き入れてビールや日本酒でもてなすこともあったそうです。
記者の悩みに親身に耳を傾け「仕事は大切だぞ」「家庭を忘れるな」といった含蓄ある人生訓まで語ってくれたとのことです。
当時取材に訪れていた記者の間では石田さんの父親は大変評判が良かったと伝えられています。

石田ゆり子さんの父親はお酒にもめっぽう強く、お酒の席でも豪快でユニークなエピソードを残していたそうですよ。
娘の石田ひかりさんは自身のInstagramで「昔からとにかく大酒飲みで、酔っ払って庭で寝てしまったり…」と微笑ましい“酔っぱらい伝説”を明かしており、愛すべきお父さん像がうかがえます。
娘想いの厳しさも…家庭でのしつけエピソード
家庭では厳格な一面もあったようです。
石田ゆり子さんは幼い頃、「『ごはんだよ』と声をかけられたらすぐ食卓に行かないとご飯を下げられてしまった」といった厳しいしつけを受けたこともあるそうです。
しかし根底には深い愛情があり、娘たちの希望する道も尊重しました。



石田ゆり子さんが高校3年生の時にスカウトされた際、父親は最初芸能界入りに反対だったそうです。
当時は学業や将来を案じての反対でしたが、「水泳だけは続けること」という条件付きで最終的に娘の意思を認めています。
この「水泳を続けるなら」という約束は、スポーツで培った忍耐力や規律を大切にしてほしいという父親の思いだったのでしょう。
実際、ゆり子さんと妹のひかりさんは幼少期から水泳が得意で、台湾在住時には姉妹そろって台湾の水泳ナショナルチームに所属していました。
石田は小学生の時に水泳でジュニアオリンピックに出場し全国8位となった経験があり、現在はエクササイズのピラティスを長く続けている。
引用:excite.ニュース
「オリンピックの強化だったんですよね?」と聞かれると「ロサンゼルスオリンピックの強化選手になれるかね…っていうぐらいですか」と明かした。
引用:スポーツ報知



お父様もそんな娘たちを誇りに思っていたに違いありませんね。
娘たちが芸能界で活躍し始めてからは、父親も静かに見守っていたようです。
石田ゆり子さんがかつて俳優の石黒賢さんと交際した際には、「好青年だと思う」と彼を評価しつつ特に干渉せず、ゆり子さんの意思を尊重していたと報じられています。
ゆり子と石黒賢(56)が1993年に交際を始めた際の石田パパは静かに見守っていた。「好青年だと思う」と評したくらい。1995年の破局時も特に発言していない。交際が終了した理由は石黒側にあると見られたため、ゆり子の気持ちを思いやってのことだったのだろう。
引用:週刊女性PRIME



厳しさと優しさをあわせ持つお父様だからこそ、石田ゆり子さんとひかりさんという素敵な娘さん達を育て上げることができたのでしょうね。
石田ゆり子の母親の職業
ただし、経歴や家族環境から考えて、専業主婦(家庭に入った)であった可能性が高いようです。
- 日本郵船に勤める夫(石田さんの父親)の収入も十分にあること
- 国内外への転勤が頻繁だったこと
- 3人の子どもを育て上げたこと
これらを踏まえると、家庭を守る専業主婦として家族を支えたと考えられています。
それでは、母親について詳しくみていきましょう。
母は沖縄・石垣島出身!東京の大学進学を機に上京
石田ゆり子さんの母親は沖縄県石垣島のご出身で、若い頃に東京の大学に進学するため上京しました。
石垣島は現在でこそ日本本土と自由に行き来できますが、当時は沖縄が本土復帰前であった可能性もあり、お母様はパスポートを手に東京へ渡ったといいます。
東京の大学で学ぶ中で後に石田さんの父親となる男性と出会い、結婚。
やがて長男、長女(石田ゆり子さん)、次女(石田ひかりさん)に恵まれました。
石田ゆり子さんの家族構成はこちらです。
- エリートサラリーマンの父親
- 専業主婦の母親
- 一般人の兄
- 石田ゆり子さん
- 女優の妹(石田ひかりさん)
実家は石垣島でスーパーマーケットを経営していた
母方の祖父母の家(=石田さんの母の実家)は石垣島でスーパーマーケットを経営していた商売一家でした。
このエピソードは妹の石田ひかりさんが語っており、ひかりさんがドラマ「スーパーのカゴの中身が気になる私」に出演することになった際には「私の母の実家が元々石垣島でスーパーをやっていた」と明かしています。
私の母の実家が、元々石垣島でスーパーマーケットをやっていたので、お話を頂いた時は、ご先祖様からのご縁だなと思い、嬉しかったですし、驚きもありました。
引用:映画ナタリー
キリスト教の家庭で、名前の由来は「聖書の百合」
さらに石田家はクリスチャンの家庭でもあり、ゆり子さんの名前「百合子」は母親が聖書の一節から取って名付けたものだそうです。
石田ゆり子 世界の犬と猫を抱きしめるイギリス編
— del (@sonotuduki) December 29, 2023
石田ゆり子さん何歳やねんって思ってウィキ見たら。54歳やねんて
名前の百合子は母親が聖書からつけたもの。「たとえどんなに着飾っていようとも、野に咲く一本の百合の花にはかなわない」という意味
おかあさんネーミングセンスよすぎやろw#NHK



聖書の中の「たとえどんなに着飾っていようとも、野に咲く一輪の百合の花にはかなわない」という言葉にちなみ、「百合子」と名付けられたとのことで 、お母様の深い愛情と願いが感じられますね。
センスも性格も似てる?母と娘の温かい関係
石田ゆり子さんと母親は非常に仲が良く、石田さんご自身「若い頃の母の写真を見ると、やはり自分は母に似ている」と投稿しています。
趣味や好きな物も母親ゆずりな部分があるようで、母から譲り受けたアンティーク小物を紹介する投稿では「こういうものが好きなのは母親譲りかも」と述べていました。
現在でも石田さんは忙しい合間に実家を訪れては母親と時間を過ごしており、自身のInstagramで「久しぶりに実家で朝を迎えております。
母が元気で楽しく暮らしていてなにより」と綴ったこともあります。



こうした言葉からも、お母様が穏やかで温かな生活を送っていること、そして母娘の絆の深さが伝わってきますね。
石田ゆり子の実家の場所
「石田ゆり子さんの実家はここ!」と一か所に特定するのは少し難しいかもしれません。
石田ゆり子さんは公式には「東京都世田谷区出身」とされています。
が、生まれたのは愛知県名古屋市で、3歳頃まで名古屋で過ごしています。
その後、幼少期から父親の転勤に伴い東京、兵庫、大阪、神奈川と各地に居住し、中学時代には先述のように台湾・台北市で3年間暮らしました。
このように、石田さんにとって実家(故郷)は一つの場所に絞れず、転勤の数だけ「実家」と呼べる場所があったとも言えます。
石田ゆり子さんのパリアナザースカイ素敵だった✨
— masami(スピカ) (@spica26masa) October 26, 2019
2011の台湾の時もみたわ~あのときの日本人学校での言葉がとても印象的だった。転勤族なので余計染みた。
アナザースカイずっとみてる。
では現在、石田ゆり子さんのご両親が暮らしている実家はどこなのでしょうか。
調べてみると、現在のご実家は千葉県我孫子市にあると言われています。
実は石田さん一家は、石田ゆり子さんが芸能界デビューした当時に千葉県内に自宅を構えていました 。
我孫子市は千葉県北西部に位置する緑豊かな街で、都心へのアクセスも良好なベッドタウンです。
石田家が我孫子市に居を構えた詳しい時期は不明です。
石田ゆり子さんと石田ひかりさんがデビュー後、取材記者たちが訪れていたのが千葉県内のご自宅だったとの証言があります。
当時、財閥系海運会社のエリートサラリーマンだった石田パパは、ゆり子とひかりの結婚問題などについて取材させてもらおうと記者たちが千葉県内の自宅近くで待っていると、「夜遅くまで大変だな」と、必ずねぎらってくれた。
庭がきれいに手入れされた2階建ての一軒屋だ。
引用:週刊女性PRIME
週刊誌の記者証言などから、実家住所として我孫子市が有力視されています。
ただ、石田ゆり子さん自身は公の場で実家の正確な所在地について語ったことはありません。
芸能人のご実家ということでプライバシーに配慮しているのでしょう。
ファンの間では「石田さんの実家はどこにあるんだろう?」と話題になることもありますが、現在は千葉県内(我孫子市付近)にご両親が暮らしている可能性が高いようです。



いずれにせよ、石田さんにとっては幼少期を過ごした様々な土地がそれぞれ思い出の「実家」と言えるのかもしれませんね。
石田ゆり子の家族エピソード
まず挙げたいのは、石田家の兄弟姉妹についてです。
石田ゆり子さんには、ご自身より1歳年上のお兄さんと、3歳年下の妹・石田ひかりさんがいます (※年齢差は学年等で「1歳上・2歳下」と紹介されることもあります)。
兄・妹に挟まれた真ん中っ子のゆり子さんは、子どもの頃から兄妹仲がとても良かったそうです。
兄は映画好き!徹夜でジブリ初日に並ぶ熱血エピソード
お兄さんは一般の方で表舞台には出ませんが、実は無類の映画好き。
ゆり子さんがInstagramで明かしたところによると、スタジオジブリの映画『もののけ姫』が公開された際、初日舞台挨拶のチケットを求めて徹夜で行列に並んだほど情熱的だったとか。
600人もの徹夜組ファンがいた中に実兄がいたと知り、ゆり子さんも「初日に並ぶのが通なのよ、みたいなことを言ってた…」と驚きつつ微笑ましく振り返っています。



普段は「自分の人生の邪魔をしないでくれ」なんて妹に釘を刺すクールなお兄さんですが 、実は妹の出演作を応援する一面もあるなんて素敵ですよね。
妹・石田ひかりも女優!偶然のスカウトと姉妹の絆
続いて妹の石田ひかりさんとのエピソードです。
ひかりさんもまた大人気の女優ですが、実は姉妹そろってほぼ同時期に芸能界デビューしています。
姉のゆり子さんが高校3年生のとき原宿でスカウトされ芸能界入りしましたが、そのわずか1ヶ月後、今度は妹のひかりさんが二子玉川で偶然スカウトされました。
しかも面白いのは、二人を見出したのが同じ芸能事務所のスカウトマンだったという点です。



スカウトした当人は当初二人が姉妹だとは気づかなかったそうです。
結果的に姉妹そろって同じ事務所に所属し、ほぼ同時に芸能活動を開始することになりました。



こんな偶然もあるのですね。
デビュー後も二人は切磋琢磨し、それぞれ女優として大成しましたが、姉妹仲は今でも非常に良好です。
石田ゆり子さんとひかりさんはプライベートでもお互いのInstagramに登場し合うほどで、たとえば石田ひかりさんの長女が成人を迎えた際には、ゆり子さんが「おめでとう」とコメントを寄せるなど温かな交流を見せています。
ファンからも「仲良しで微笑ましい姉妹」として知られ、そんな家庭的な姿にも多くの声が集まっています。
幼少期は水泳の才能が開花!台湾代表に選ばれた過去も
石田家のスポーツエピソードも見逃せません。
先ほど触れたように、父親の教えで幼い頃から水泳に打ち込んでいた石田ゆり子さんとひかりさん。
台湾在住時代には現地の水泳大会で優勝し新聞に載ったこともあるほどの腕前でした。
当時は「ジュニアオリンピックに出場を目指していた」ともいい、ゆり子さん自身も「人生で一番泳いでいた時期」と述懐しています。
芸能界入りにあたって両親が「水泳だけは続けること」を条件にしたのも、娘たちの健康や精神面を考えてのことでしょう。
石田姉妹は忙しい芸能活動の合間にも水泳を趣味として続け、心身のリフレッシュに役立てているそうです。
ゆり子さんは50代となった現在もスタイル維持の秘訣として「ときどきプールで泳ぐ」ことを挙げています。



幼い頃の家族との努力が今につながっているのですね。
父の“豪快すぎる”愛されキャラ伝説
最後にもう一つ、石田ゆり子さんがお父様について語った微笑ましいエピソードをご紹介します。
石田さんはかつてテレビ番組で「子どもの頃、父は酔っぱらって終電を逃し、とんでもなく遠い駅から徒歩で帰宅したことがあった」と笑い話にしていました。
仕事一筋でありながら豪快なお父様の姿に、スタジオもほっこりとした雰囲気になったようです。
そんな愛すべき石田パパも、2020年に80歳のお誕生日を迎えられました。
石田ひかりさんはインスタグラムで「今日は父の80歳の誕生日☺️㊗️」と報告し、「昔からとにかく大酒飲みで、酔っ払って庭で寝てしまったり電車で寝過ごして果てしなく遠くまで行って…」とお茶目なお父様の思い出を綴っています(※石田ひかりInstagram投稿より)。
コメント欄には「素敵なお父様!」「石田さん姉妹のお人柄はご両親譲りですね」など、ファンからの声が多数寄せられていました。



家族を笑顔にするエピソードがたくさんあるのは、本当に素敵なご家族ですよね。
まとめ
石田ゆり子さんのご家族について、父親・母親から兄妹まで様々な角度で見てきました。
父親は日本郵船のOB社員として国内外を飛び回り、厳しさと優しさで子どもたちを育て上げました 。
母親は沖縄・石垣島出身で、家庭を守る専業主婦として家族を支え、娘たちに聖書に由来する名前を贈るなど深い愛情を注いできました。
石田家は転勤族ゆえ各地に「実家」がある特異な家庭環境でしたが、それがかえってゆり子さんの視野を広げ、国際的な感性を育んだようです。
兄妹のエピソードからもうかがえるように、石田家は笑いと愛情に満ちた仲良し家族です。
こうした温かな家庭でのびのび育ったことが、石田ゆり子さんの現在の人柄や魅力につながっているのでしょう。
石田ゆり子さんは現在も女優として大活躍されていますが、その陰には今回ご紹介したような素敵な家族の支えがあります。
これからも石田さんがますます輝いていけるよう、ご両親や兄妹とのエピソードを大切にしながら応援していきたいですね。
最後までお読みいただきありがとうございました。









