ゴールデンボンバーのボーカル・鬼龍院翔さん。
2025年8月の離婚発表は、多くのファンに衝撃を与えました。
そんな中で再び注目を集めたのが、過去に行っていた養子縁組の話。
「なぜ?」「本当?」とSNSやニュースサイトでも話題になりました。
この記事では、鬼龍院さんの養子縁組の真相と理由、そして家族構成・生い立ちまでを丁寧に解説します。
ファンも一般の方も、彼の歩んできた道を温かい目で知るきっかけになれば嬉しいです。
鬼龍院さんの半生を振り返りながら、その素顔に迫ってみましょう。
- 本名の珍しさによるプライバシー保護のため、2013年に事務所会長と養子縁組し、2020年末に解消していた。
- 養子縁組は元妻のSNS投稿で判明し、当時ネットで憶測が広がった。
- 家族は浅草の写真館を営む父母と兄弟2人。現在は良好な関係。
- 中学時代の非行を経て、母の贈ったキーボードが音楽活動の原点となった。
- 『女々しくて』の大ヒットでブレイクし、結婚・出産を経て2025年に離婚を発表。
それでは詳しく見ていきましょう。
鬼龍院翔の養子縁組はなぜ⁉︎本当?
2013年、鬼龍院さんは所属事務所「ユークリッド・エージェンシー」会長の木村敏彦氏と養子縁組を結びました。
理由は、鬼龍院さんの本名「一浦翔(いちうら しょう)」が全国的にも珍しく、プライバシー保護のため。
珍しい名字は本人特定につながりやすく、芸能活動や日常生活でのリスクを減らす目的があったといいます。
当時この事実は公表されておらず、木村氏の元妻であるロシア人女性が2020年3月にInstagramで養子縁組を示す書類画像を投稿したことで判明しました。
その書類には養親である木村氏の名前と、養子となった人物の名前「木村翔」、生年月日「昭和59年6月20日」が記載されており、鬼龍院翔さん本人で間違いない内容でした。
この投稿により鬼龍院さんの養子縁組が明るみに出て、ファンやメディアの間で大きな話題となりました。
鬼龍院 養子縁組で検索すると出てくるwww泥では否定してたけどやっぱ本当だったってことなのかな😇
— 𝘮𝘶𝘵𝘴𝘶𝘮𝘪 (@ily_ks6v623) November 24, 2021
では、なぜそんな養子縁組を行ったのでしょうか?
鬼龍院さんの本名が珍しすぎるためプライバシーを守りたいというのが主な理由だったようです。
鬼龍院との養子縁組については、
「あれは、彼の本名が珍しすぎて、芸能人としてプライバシーを保ちづらいと本人から頼まれただけの話。外したのは、入籍して7年経つと籍を外した後も通名として名乗れるという制度があるから。
引用:デイリー新潮
鬼龍院さんは芸名で活動していますが、公的な場面では戸籍上の氏名を使う必要もあります。
本名「一浦」は珍名のため本人特定につながりやすく、そこで戸籍上の姓を変える目的で木村会長に頼み込んで養子に入ったとされています。
実際、養子縁組後は鬼龍院さんの戸籍上の姓が「木村翔」となり、周囲には本名が知られにくくなりました。
なお法律上も問題のない手続きで、芸能界では税務対策や事業承継など目的で養子縁組を行うケースもあるといいます。
鬼龍院さんの場合も急激な売れっ子になったタイミングでの養子縁組だったため、「節税対策ではないか?」という見方も一部にはありました。
一方で、当初この養子縁組が報じられた際、「もしかして会長との間に特別な関係が?」といった根拠のない憶測(例えば同性婚代わりの養子縁組というデマ)もネット上で飛び交いました。
実際、鬼龍院さん本人もこの養子縁組について、コメントは出しておらず、公になったのは事務所会長の元妻の暴露によるものです。
なお、この養子縁組は2020年末までに解消されています。
養子縁組からちょうど7年が経過した段階で戸籍上の養親関係を外しており、木村会長も「籍を外した後も通称として名乗れる制度があるから」と説明しています。
離縁後、養親の苗字を名乗り続ける方法
①養子縁組をして7年以上経過している離縁の場合
引用:氏名変更相談センター(司法書士事務所エベレスト大阪事務所)
…離縁の日から3か月以内に「離縁の際に称していた氏を称する届」を役所へ届け出ることで養親の苗字を名乗れる
7年間という期間は、戸籍法上、養子縁組を解消しても旧姓とは別の姓を通称使用できる目安とも言われます。
このタイミングで養子関係を解消したのも、当初の目的であるプライバシー保護という役割を終えたからなのでしょう。

離婚訴訟というトラブルから明るみに出てしまった形ですね、、、
鬼龍院翔の家族構成(父親・母親・兄弟)
東京・浅草で写真館を営むご両親のもと、鬼龍院さんは3人兄弟の次男として育ちました。
実家は写真屋を営んでいるという鬼龍院さん。
鬼龍院:夢は全くないですよ、うち。愛もない家庭でした。食事中とか一言もしゃべらない、暗ーい家庭だったんですよ。
引用:J-WAVE NEWS
幼少期の鬼龍院さんの家庭は寡黙で厳格な雰囲気でしたが 、現在では家族との交流も増え、良好な関係を築いているようです。
父親
父親は東京都台東区浅草で長年写真館を経営しており、地元密着のカメラマンです。
鬼龍院さん自身、「実家もずっと浅草で写真館やってます」とテレビ番組で語っており 、浅草生まれ浅草育ちの彼にとって地元と家族の仕事は切っても切れない存在です。
鬼龍院さんが子どもの頃は、写真館の仕事で忙しい両親とゆっくり話す機会も少なかったようです。
実際、鬼龍院さんはラジオ番組で「食事中とか一言も喋らない、暗ーい家庭だったんですよ」と冗談めかして語っています。
家族団らんの食卓でも黙々と食事をするような静かな家庭環境で、「夢も愛もない家庭」とまで笑いのネタにしていました。
とはいえ、近年では鬼龍院さんが仕事で父親に写真撮影を依頼することもあるようです。
💣『別刊 #ゴールデンボンバー』💥
— ゴールデンボンバーチャンネル (@goldenbomber_ch) June 18, 2024
ご視聴有難うございました🙇
ニコニコ非常事態につき
鬼龍院さんのご実家の写真館を借りて緊急生配信⚡️
現役カメラマンのお父様に素敵な記念写真を撮っていただきました📸
🔽見逃し配信中https://t.co/1woLn4CKu6#金爆 #がんばれニコニコ運営 #ニコニコ復活 pic.twitter.com/0lfKhG9Paz



大人になった鬼龍院さんが父親と仕事を通じて交流し、距離が縮まったのかもしれませんね。
母親
母親は家庭では控えめながらも、実は鬼龍院さんの良き理解者です。
鬼龍院さんは思春期にグレてしまった時期もありましたが、そのとき母親は息子を見放さず支えてくれました。
母親はインタビューで息子について聞かれると「家には帰ってきませんが、テレビでも元気にやっているのが見られるので、それだけで十分です」と語っています。
過去、本誌の取材で記者が「息子さんはそのキーボードを今でも使っているようですね」と水を向けると、母は言った。
「なんかねえ、今も持っていてくれているようですけど……。家には帰ってきませんが、テレビでも元気にやっているのが見られるので、それだけで十分です」
引用:女性自身
鬼龍院さん自身、若い頃は親に反発して一人暮らしを始めた後しばらく連絡を取らなかった時期もあったそうですが、ご両親が年を重ね体調を崩しかけたのを機に徐々に連絡をするようになったといいます。
兄弟
兄弟は鬼龍院さんを含めて三人兄弟で、鬼龍院さんにはお兄さんと弟さんがいます。
鬼龍院さんは兄弟仲についても普段あまり多くを語りませんが、ラジオでは「兄と弟がいるんですけど、どちらも廃人みたいな生き方してますね(笑)」と冗談交じりにネタにして笑いを取っていました。
鬼龍院:兄と弟がいるんですけど、どちらも廃人みたいな生き方してますね(笑)。
引用:J-WAVE NEWS
もちろんこれは鬼龍院さん特有の自虐的なユーモアです。
ブログでは、兄弟についてこのように明かしています。
兄はもう嫁も子供も居るし
弟は大学出て就職決まったそうだし
僕もしっかりせねばイカン
引用:鬼龍院翔の公式アメブロ(キリショー☆ブログ)より
鬼龍院さんは「兄はもう嫁も子供も居るし、弟は大学出て就職決まった」と2010年頃に綴っており 、当時から兄弟それぞれ自立した生活を送っていたようです。
うちの兄もゲーム中毒の気があったなぁ
常にゲームやってるような
引用:鬼龍院翔の公式アメブロ(キリショー☆ブログ)より
お兄さんはゲーム好きで「常にゲームやってるような」人だと本人も語っています。
現在の鬼龍院さんと兄弟の仲はむしろ良好だと考えられます。
弟さんとは2020年に久々に会った際、弟がヨレヨレのTシャツを着て「どこまで着れるかチャレンジ」をしていたという微笑ましいエピソードを鬼龍院さんがSNSで紹介しています。
実家に帰ったら弟がボロボロのシャツ着てたから理由を聞いたら
— 鬼龍院翔(41歳) (@kiryuintw) March 24, 2020
「Tシャツどこまで着れるかチャレンジ」やってたw
※ルール
故意に破らずにあくまで自然な着用と洗濯のダメージのみで着続ける
こうして見るとドラゴンボールの悟空の道着の破け方って正解だったんだな… pic.twitter.com/H4XMCvQlgG
2017年のブログでは実家の家族に北海道産のホタテを贈ったことを綴り、「父さん母さん食べてください。たぶん兄・弟・甥っ子と分けても全然余裕な量です(笑)」と書いており 、鬼龍院さんが家族思いな一面を見せています。
一人暮らしの僕では食べきれない量なので、と言ったら
「実家に送ってあげたらいいよ(^-^)」
と仰ってくださったのでありがたく実家に送らせて頂きます!m(_ _)m
というわけで父さん母さんホタテが届きますので食べてくださいm(_ _)m
たぶん兄・弟・甥っ子と分けても全然余裕な量ですm(_ _)m笑
引用:鬼龍院翔の公式アメブロ(キリショー☆ブログ)より
さらに2019年には「20年ぶりに家族5人で外食した」ことを鬼龍院さんが明かしており 、久しぶりに家族全員が顔を揃えた食事会を楽しんだようです。



幼い頃は会話が少なかった家族も、今では笑い合える関係になっているのかもしれませんね。
鬼龍院翔の生い立ち
- 鬼龍院翔さんは1984年に東京・浅草で生まれ育ちました。
- 学生時代にはやんちゃをして親に心配をかけましたが、母親から贈られたキーボードとの出会いで音楽の道に進みます。
- バンド結成後は下積みを経て、代表曲『女々しくて』の大ヒットにより国民的人気者となりました 。
鬼龍院翔さんは1984年6月20日生まれ。
東京・台東区浅草で、写真館を営む両親のもとに生まれ育ちました。
浅草といえば下町情緒あふれる観光地。
幼い頃から賑やかな街並みの中で過ごし、地元の友達と遊び回る日々を送ります。
一方で、家庭はとても静か。
鬼龍院さん自身、ラジオで「食事中に一言も喋らない暗い家庭だった」と笑いながら話しています。
親は仕事熱心で、教育にも厳しいタイプ。
そのため、反抗心を抱くこともあったそうです。
中学時代の転機
中学2年生のとき、鬼龍院さんは非行に走り、警察に補導された経験があります。
この頃は家に居づらく、気持ちも荒れていたといいます。
そんな息子を案じた母親が、クリスマスに贈ったのが小さなキーボードでした。
「中2で補導された直後、四和音が出るミニキーボードを母が買ってくれた」と本人も語っています。
非行で捕まってしまったのは中学2年生の12月初めあたりだったんだけど、その直後のクリスマスに、母親が四和音出る小さめのキーボードを買ってくれた
引用:女性自身
これが人生の大きな転機となりました。
音を鳴らすうちに曲作りの楽しさに目覚め、音楽に没頭していきました。



母のプレゼントが、後の鬼龍院翔さんの音楽人生を切り開いたのですね。
高校〜バンド結成
高校卒業後は一人暮らしを始め、自分の力で生きていく道を選びます。
19歳のとき、友人たちとゴールデンボンバーを結成。
当初はインディーズ活動で、ライブ客が数人という日も珍しくありませんでした。
それでも鬼龍院さんは諦めず、作詞・作曲・編曲まで一人でこなし続けます。
『女々しくて』の大ヒット
2009年、『女々しくて』をリリース。
結成当初はインディーズで知名度も低く、ライブにお客さんが数人しか来ないような下積み時代が続きます。
鬼龍院さん自身、バンドが売れない苦しさから「死にたくなるくらい必死に頑張った」こともあったとブログにつづっています。
まず、応援してくれるみんなのおかげで
バンドをヒーヒー必死に死にたくなるくらい必死に頑張ったおかげで、
少しづつ安定した¥が入ってくるようになりました。
引用:鬼龍院翔の公式アメブロ(キリショー☆ブログ)より
そして、テレビ出演をきっかけに人気が爆発。
カラオケランキングで51週連続1位という記録を樹立しました。
今でも鬼龍院さんは、母からもらったキーボードの後継機を使い続けています。
中2からずーっとCASIOのミニキーボードでメロディやコードを探って作曲してきて今も二代目を使わせて頂いています🎹閃きを形にしてくれてとても感謝しています🙏この度MEGUMIさんにインタビューして頂きました😊#部屋活ピアノ https://t.co/beB2SRnAZt
— 鬼龍院翔(41歳) (@kiryuintw) June 30, 2021
「原点はあの時のプレゼント」と語るその姿からは、母の愛情と音楽への感謝が伝わってきます。
プライベートでは2021年9月に一般女性との結婚を発表し、2024年には第一子が誕生しましたが 、2025年8月に離婚を報告しています。
先週、籍を外しました。
— 鬼龍院翔(41歳) (@kiryuintw) August 3, 2025
離婚のニュースは世間を驚かせましたが、鬼龍院さんはファンに向けて前向きな姿勢を崩さず、「これからも音楽活動に邁進する」との決意をにじませています。
まとめ
鬼龍院翔さんの養子縁組は事実で、その理由は本名「一浦翔」が非常に珍しく、芸能人としてのプライバシー保護のためでした。
2013年に所属事務所会長・木村敏彦氏と養子縁組を結び、2020年末に目的を果たして解消しています。
家族構成は、東京・浅草の写真館を営む父と母、兄、弟の5人家族。
幼い頃は会話の少ない家庭でしたが、今では父と仕事を通じて交流したり、兄弟とのユニークな再会エピソードをSNSで紹介したりと、良好な関係を築いています。
生い立ちでは、中学2年生の頃に非行で補導される経験がありましたが、母が贈った小さなキーボードとの出会いが音楽人生の転機に。
その後、ゴールデンボンバーを結成し、代表曲『女々しくて』が大ヒット。カラオケランキング51週連続1位という快挙を達成しました。
2025年8月の離婚発表は驚きを呼びましたが、鬼龍院さんは音楽への情熱を失っていません。
プライバシーを守るための養子縁組、家族との絆、母の愛情から始まった音楽人生——これらすべてが今の鬼龍院翔さんを形作っています。
これからも変わらず、鬼龍院翔さんの音楽と挑戦を応援していきましょう。